セリカと聞くとトヨタで名車という名がついても過言ではないほど、よく知られているモデルだと思いますが、そんなセリカにもコンバーチブルバージョンが存在しています。さらにこのセリカコンバーチブルは日本で生産された中で唯一4シートのコンバーチブルという歴史に名を残す車なのです。
「そもそもセリカとは…日本初がたくさん盛り込まれたモデル」
なんと言っても「日本で最初のスペシャリティカー」という看板が一番大きいでしょう。ここからスペシャリティカーの大ブームが始まり、初代セリカも大ヒットとなりました。また36年という長い販売期間と時代の大きな波も相まって、代によって様々なデザインがあり個性をもっておりセリカと一言で言ってもどのモデルを想像するかはかなり幅広いと思います。
初代は通称ダルマセリカ、ダルマと呼ばれその名の通り少しずんぐりむっくりとしたボディに、変速機、好きなエンジン、内装を選んで組み合わせられるフルチョイスという販売方法がとられ話題を呼びました。これはフォード・マスタングがとっていた手法でトヨタも取り入れてみたわけですが、唯一ヤマハ製2T-G型DOHCエンジンが付いている最上級モデルはフルチョイス外だったのですが結局人気が高かったのはこの最上級モデルで、あまりフルチョイスの功は奏しなかった形になりました。
2代目では少し平らになりダルマ体形ではなくなり、空力を重視したスタイリングがなされ日本で初めて三次元局面サイドガラスを取り付けました。また1978年に3ドアリフトバックに手動のサンルーフが日本車で初めて採用されました。この頃からフェアレディZやスカイラインなど名だたるライバル達も続々と現れスペシャリティカーブームがどんどん高まっていました。
3代目はキャッチコピーが「世界、新CELICA」となっていた通り、2代目からエクステリアも性能もガラリと一新されました。このモデルでは日本車初&日本車で唯一ライズアップ式ヘッドランプが採用されているのが大きな特徴です。またこのライズアップ式ヘッドランプモデルは発売開始された1981年からマイナーチェンジが行われる1983年までの間のみだったのでかなり希少だと言えます。3代目自体がわずか4年という販売期間だったことと、2代目セリカXXとほとんど同じ時期に発売され、セリカXXが大人気だったこともあり3代目モデルはあまり知られていない存在となっています。
3代目までは後輪駆動でしたが、コンバーチブルモデルが追加された4代目では前輪駆動となり、コロナクーペとカリーナEDと姉妹車が続々と誕生しました。またボディタイプがリフトバックのみになり、それをクーペと呼ばれるようになりました。そして1986年にトヨタで初めての手動でフロック付きのベベルギア式のセンターデフが装着されたフルタイム4WDの2,000ccGT-FOURが登場したのも大きなターニングポイントとなりました。
「セリカコンバーチブルの歴史」
出典:ウィキメディア
1番最初にコンバーチブルが追加されたのは3代目でしたが、それは北米仕様のみでした。日本にも一応輸入されていたようでしたが少なく、かなり希少でした。
そして4代目で国内向けに製造されたのは3ドアのハッチバッククーペのみでしたが、1987年に輸出用に作られていた姉妹車である国内用のコロナクーペにセリカのマスクを付けた2ドアのノッチバッククーペを、オープン化のスペシャリティーでよく知られるアメリカのASCに送られオープン化してもらったものを日本にまた持ってくるという文だけで見るとなかなかややこしそうな手順を踏んで製造されました。しかし国産のオープンカーを作るにはたまに用いられる方法でトヨタのサイノスコンバーチブルやミツビシのスパイダーVR-4などが挙げられます。コンバーチブルで選ばれたのは2,000ccのハイメカツインカムのエンジンで5ATと4ATで、トランクルームも備え付けられていました。5代目も1990年に同じ手法でオープン化されました。同時期に3S-GE型エンジンとデュアルモード4WSを採用しました。またこの時期に青い幌が付いたボディーがダークブルーマイカメタリックのコンバーチブルの特別仕様車「LIMITED300」も300台限定で販売されました。
1994年には6代目を今まで同じ手法でオープン化し、コンバーチブルとしては3代目のST202C型が販売開始されました。クーペ、リフトバック、コンバーチブルと共にこの代では大きく改良が重ねられましたが、バブル崩壊、スペシャリティカーの減少などと時代に翻弄された部分もあり、販売不振となってしまいマイナーチェンジを行った1年半後にはフルモデルチェンジを強いられることとなりそれと同時にコンバーチブルモデルも終了しました。
参考:オープンカー/カブリオレ/コンバーチブルの買取専門ページです
「オープン化の仕組み」
4代目と5代目までは同じ仕組みで電動で油圧式による開閉装置でした。しかし6代目では大きく変わりオール電動モーターとなり、さらに3分割になっているレールが外側に広がりながら重なり、コンパクトにオープン化できるアウターフォールド機構が採用されました。そのおかげでリヤシートが260mm広げることができ大人でもゆったり座れるようになりました。さらにこのモデルはクーペをコンバーチブルに改良したのではなく、ノッチバックボディでコンバーチブル化させたのでクーペ並みの剛性と重量にすることに成功しました。コンバーチブルは重量が重い…、剛性が弱い…というマイナス面が払拭されたということです。このコンパクトなオープン化、ノッチバックボディの2点で普段使いしやすさが高められたのかと思います。
「オープン化したが故に…」
出典:ウィキメディア
基本的に元々クーペであるモデルをオープン化させるとどうしても剛性が低くなり、重量が増えてしまいます。セリカコンバーチブルは剛性の補強が成されてはいますが、そうなるとオープン機構+補強の分で増量してしまい6代目のセリカではクーペよりコンバーチブルがなんと約100kgも重くなっています。そのためどうしても動きがクーペよりも鈍になってしまい、本格的な走りを求めるのは難しいモデルです。後期型ではなんとATのみになっていることからトヨタ側としてもコンバーチブルに走りは求めていないことを如実に表していると思います。
こう見るとマイナス点が目立ったように見えてしまいますが、セリカコンバーチブルならではの良い点もあります。なんといっても日本車の4人乗りオープンカーはセリカコンバーチブルのみです。2人乗りだとやはり使い道がかなり限定されてしまいます。もちろんベースはクーペなので非常に広いとは言えませんが、4人乗りだと普段でも十分使うことができます。そしてもう一つはトランクがきちんと機能していることです。オープンカーは大抵幌を収納するスペースでトランクがほとんどないようなものが多いですが、セリカコンバーチブルはトランクに大きめのスーツケースも入るぐらいのサイズがあり、それはオープンの状態でも可能です。なかなかそのようなオープンカーはありません。
「まとめ」
セリカコンバーチブルというよりセリカについての紹介もついつい多くなりましたが、セリカそのものも知るのはセリカコンバーチブルを知る上でも大切なことかと思います。現在セリカコンバーチブルの中古車は大分少なく恐らく日本で20台ほどですが、希少車になりつつありながら価格はそこまで高くありません。やはり年式がかなり高く、オープンカーなので修理する箇所や幌が傷んできているものもあるでしょうしなかなか購入となると勇気がいるモデルではあります。しかし今後乗る機会は一生のうちで恐らくないに等しいでしょう。是非乗る機会があれば乗って欲しいモデルです。一生の思い出になること間違いありません。
[ライター/A. Oku]